【41年前の今日:朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領暗殺】嫌韓も韓流好きもパク大統領を知れば、その根っこは同じ『朴の不時着』《今日はニャンの日》
平民ジャパン「今日は何の日」:6ニャンめ
■満洲国、ベトナム戦争、そして漢江の奇跡
満洲国軍中尉として終戦を迎えた高木正雄こと、朴正熙の開発独裁政策の背景には、大日本帝国の壮大な実験場、満洲国から学んだ国家社会主義・計画経済の思想と手法があった。共産圏との直接対峙、宗主国アメリカの冷徹な極東戦略、「昭和の妖怪」と言われた岸信介を筆頭とする日本政財界との絆・癒着とサポートがあった。
日韓の闇をつなぐ国際勝共連合・統一教会の存在もあった。
帝国陸軍仕込みの軍人政治家は、植民地支配解放後の反日感情の嵐の中で、親日売国の非難を浴びても動じなかった。経済大国にひた走る日本をモデルとして転用した。米日からの継続的支援をとりつけ「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる劇的経済発展を成し遂げた。しかし、じつは最大のブースターとなったのはベトナム戦争だった。
朝鮮戦争特需で敗戦間もない日本がボロ儲けし、経済復興を遂げたことから、朴正熙は学んでいた。ベトナム戦争の泥沼に派兵・参戦した10年間で、韓国のGNP(国民総生産。現在はGDP「国内総生産」で表記)は14倍、外貨保有高は24倍、輸出総額が29倍になった。戦争は最強最速のビジネス、これもリアリズムだ。
1961年5月の軍事クーデターは、わずか3日後にアメリカのジョン・F・ケネディ民主党政権に支持された。半年後、朴正熙はケネディとの会談を果たした。そこでベトナム派兵を申し出たと言われる。帰り道には所得倍増計画の池田勇人首相に会っている。
東京がオリンピックで湧いた1964年、韓国はまず非戦闘要員派遣を開始、翌年には朝鮮戦争で勇戦実績のある1万8500の最強部隊(猛虎師団、白馬師団、青龍旅団という恐ろし気な名前の精鋭部隊)を戦争の最前線に投入した。時を同じくして、日韓基本条約が結ばれた。
アメリカの介添えによる、この二つのイベントは確実にリンクしている。韓国は、のべ32万人、ピーク時には一度に5万人の軍団を南ベトナム戦闘地域に展開した。
アメリカに対して忠誠を示すことと引き換えに、在韓米軍を引き留める。大規模な経済・軍事支援、日本も多大な恩恵にあずかったベトナム特需を請ける。そして韓国軍将兵に「なんでもありの実戦」の場を与える。一石三鳥以上の目算があった。
■脛に傷ある過去は封印してもリアルを貫くとは何か
朝鮮戦争において民間人殺戮も辞さぬ過酷な伝統を継ぐ韓国軍は、ベトナムでも「勇猛果敢」と恐れられた。化学兵器も使用した。多くの非戦闘員虐殺、ジェノサイド(集団殺戮)、強姦・輪姦の蛮行も行った。韓国軍こそ従軍慰安婦が必要だっただろう。数万以上にのぼるとされる膨大な犠牲者の数は依然闇の中だ。それが戦争のはらわただ。
韓国政府は長年この事実を隠蔽し、いまだに認めていない。
いまでは韓国と密接な経済関係を持つベトナムは、汚れた過去を南ベトナムの問題として封印し、寝た子を起こすことはしない。これもリアリズムだ。
目と鼻の先で北と対峙し続ける韓国軍は、李承晩(イ・スンマン)初代大統領時代、朝鮮戦争それ自体だけでなく、数々の暴動鎮圧・集団虐殺を行った。
朴正熙時代においては、ベトナム戦争における正規非正規の実戦に加え、国内治安維持を名目にした数々の暴動鎮圧の輝かしい黒歴史を持つ。朴正熙暗殺後、そのまま全権を引き継いだ軍中枢エリート、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下の1980年光州事件においては、空挺部隊が多数の自国民を虐殺している。臨戦態勢の韓国には、いつでも戦場に飛び込み、他国戦闘員はもちろん、非戦闘員も、そして治安維持のためには自国民も殺すことができるリアルな軍隊がある。国民皆兵制度がある。
平和な日本においては自衛隊創設以来、戦争はおろか、治安出動の実戦経験も無く、民間人殺害の記録はもちろん無い。自衛隊は災害救助とPKO(平和維持活動)専門だ。すばらしい。
しかし、それは必ずしも絶対にいいことなのか。
年がら年中戦争を続ける世界において、恒久平和はファンタジーだ。
戦争は、いつかまた誰かが始める。起きたときに国土と国民を守れなければ、どんなに予算をかけた最新鋭の軍事力にも意味はない。
日本はもう二度と戦争に敗けるわけにはいかない。しかし、敵性国家に名指しで核ミサイルを向けられている。
発射の威嚇を受け続けても、この国と平民ジャパンにはまったく危機感がない。イージスアショアですら、部品が落ちたら危ないと言って配備できない。あからさまな脅威に対する先制攻撃は、専守防衛のうちに含まれる。
しかし、敵基地攻撃の発想も準備も日本には無い。仮説すら無い。リアリズムとはほど遠い。